2005年11月06日
春と修羅 【インスパイア】 :解説
「わかりにくい」と評判の今作。
そんなわけで、作品解説。
作者のやる、作品解説ほど侘しいものはない。
そんなわけで、作品解説。
作者のやる、作品解説ほど侘しいものはない。
1. 宮沢賢治作「春と修羅」
http://why.kenji.ne.jp/haruto/109harut.html
大学時代、好きだった授業。
某有名人のイトコにして、我が大学の名物教授。
「文学論」
この教授のライフワークが「ミヤザワケンジ」だったわけで、レポートも
「ミヤザワケンジで一言!」だったわけで。
話のテンポよかったし、立ち見やモグリが出るくらいの人気授業。
比較的真面目に受けたっけ。
夏休みには、ちゃぁ~んとレポートも作成したし。
テーマは「春と修羅に見る心象スケッチ」。なんじゃそりゃ?
心象スケッチっていうのは、いわゆるミヤザワケンジの、心模様を
書きなぐった文章たちにつけられたオシャレワード。
でも、綴られてる文章たちに、実はオシャレ感なんてひとっかけらもない。
有名な作品は「銀河鉄道の夜」とか、「よだかの星」とか、「注文の多い料理店」
とか、「グスコーブドリの伝記」とか、子供時代に触れた人もいるであろう、
いわゆる童話がメインになる気がする。
けど、ほんとうに彼に惹かれていった部分は、その世界観だった。
「イーハトーブ」
ということばに集約される、彼独特の世界。
エスペラント語(世界共通語)とか、なんかスケールがいちいちデカイ。
でも、そんなメルヘン男で終わる器ではなく、実生活はかなりメンヘル
(メンタルヘルス)男だったりする。
結構ギリギリのところで生きてる「ミヤザワケンジ」の、中期の佳作が
「詩集 春と修羅」だった。
唯一の理解者、妹トシ。
彼の作品には度々妹の影がよぎることがある。有名な、童話にさえも。
そして、この「春と修羅」にもその姿を垣間見ることができる。
美しいもの、光り輝くもの = 妹
醜いもの、薄暗いもの = 自分
この対比が、鬼気迫る文章で表現され、読む人の心にその痛み・苦しみが
ダイレクトに伝わってくる。
「永訣の朝」「無声慟哭」という作品。妹の死を看取った日の話。
これは、痛々しすぎて直視できない。
悲しい出来事に、真っ直ぐ立ち向かってしまった作品だから。
けれど、「春と修羅」は違う。
あえて、自分という対象物を間に挟み、妹との対比の中から自らの
嫌悪すべき人間性を見つめ、立ち上がろうという前向きなメッセージ
に変換しようとしている。
単なる自虐ではない、深い感情がそこにはある。
2.高橋源一郎作 「ミヤザワケンジ グレーテストヒット :春と修羅」
一言でいうと、舅に従順だった姑が、認知症により「修羅」になった話。
それを、嫁の視点から淡々と描いた作品。
春と修羅・・・という響きからのインスパイアと思われる。
上手いけど、宮沢賢治の本質が実は見えにくかった。
3.【ミヤ】作 「春と修羅 【インスパイア】」
手法は2.よりインスパイア。
中身は1.よりインスパイア。
春4月。
現代のミヤザワケンジは、不良サラリーマン。
対比すべき対象は、フレッシュ新人ちゃん。
誰にでもある醜さ、いやらしさ、そういうものはふとしたきっかけで
顕在化する、というおはなし。
たぶん、好意を持った相手に対する時ほど、きっかけ次第で簡単に
修羅になるんだろうなと思う。
「好きの反対は無関心」だけど、「憎しみは好きの延長上」だから。
で、不良リーマンだけでなく、新人ちゃんも人間だから、時には
夜叉にもなるんだよ、って言いたかった。
夜叉(ヤクシャ)といえば、鬼子母神。
人を喰う夜叉も、1,000人いる子供のひとりでも奪われれば涙する
という逸話の、いわゆる逆変換。
愛想を振りまくあの娘だって、ボタン掛け違えれば夜叉なんです。
4.最後に
とくに1.は、うろ覚えで書いたから、ちょっと理解が違うかもしれない。
実際、こんな感じのレポート出したけど、認識があってるかどうかなんて
評価はもらってないし。
話がちがーう!という内容に気付いた方、ご連絡ください。
ていうか、こういうのはもうしません。以上。
http://why.kenji.ne.jp/haruto/109harut.html
大学時代、好きだった授業。
某有名人のイトコにして、我が大学の名物教授。
「文学論」
この教授のライフワークが「ミヤザワケンジ」だったわけで、レポートも
「ミヤザワケンジで一言!」だったわけで。
話のテンポよかったし、立ち見やモグリが出るくらいの人気授業。
比較的真面目に受けたっけ。
夏休みには、ちゃぁ~んとレポートも作成したし。
テーマは「春と修羅に見る心象スケッチ」。なんじゃそりゃ?
心象スケッチっていうのは、いわゆるミヤザワケンジの、心模様を
書きなぐった文章たちにつけられたオシャレワード。
でも、綴られてる文章たちに、実はオシャレ感なんてひとっかけらもない。
有名な作品は「銀河鉄道の夜」とか、「よだかの星」とか、「注文の多い料理店」
とか、「グスコーブドリの伝記」とか、子供時代に触れた人もいるであろう、
いわゆる童話がメインになる気がする。
けど、ほんとうに彼に惹かれていった部分は、その世界観だった。
「イーハトーブ」
ということばに集約される、彼独特の世界。
エスペラント語(世界共通語)とか、なんかスケールがいちいちデカイ。
でも、そんなメルヘン男で終わる器ではなく、実生活はかなりメンヘル
(メンタルヘルス)男だったりする。
結構ギリギリのところで生きてる「ミヤザワケンジ」の、中期の佳作が
「詩集 春と修羅」だった。
唯一の理解者、妹トシ。
彼の作品には度々妹の影がよぎることがある。有名な、童話にさえも。
そして、この「春と修羅」にもその姿を垣間見ることができる。
美しいもの、光り輝くもの = 妹
醜いもの、薄暗いもの = 自分
この対比が、鬼気迫る文章で表現され、読む人の心にその痛み・苦しみが
ダイレクトに伝わってくる。
「永訣の朝」「無声慟哭」という作品。妹の死を看取った日の話。
これは、痛々しすぎて直視できない。
悲しい出来事に、真っ直ぐ立ち向かってしまった作品だから。
けれど、「春と修羅」は違う。
あえて、自分という対象物を間に挟み、妹との対比の中から自らの
嫌悪すべき人間性を見つめ、立ち上がろうという前向きなメッセージ
に変換しようとしている。
単なる自虐ではない、深い感情がそこにはある。
2.高橋源一郎作 「ミヤザワケンジ グレーテストヒット :春と修羅」
一言でいうと、舅に従順だった姑が、認知症により「修羅」になった話。
それを、嫁の視点から淡々と描いた作品。
春と修羅・・・という響きからのインスパイアと思われる。
上手いけど、宮沢賢治の本質が実は見えにくかった。
3.【ミヤ】作 「春と修羅 【インスパイア】」
手法は2.よりインスパイア。
中身は1.よりインスパイア。
春4月。
現代のミヤザワケンジは、不良サラリーマン。
対比すべき対象は、フレッシュ新人ちゃん。
誰にでもある醜さ、いやらしさ、そういうものはふとしたきっかけで
顕在化する、というおはなし。
たぶん、好意を持った相手に対する時ほど、きっかけ次第で簡単に
修羅になるんだろうなと思う。
「好きの反対は無関心」だけど、「憎しみは好きの延長上」だから。
で、不良リーマンだけでなく、新人ちゃんも人間だから、時には
夜叉にもなるんだよ、って言いたかった。
夜叉(ヤクシャ)といえば、鬼子母神。
人を喰う夜叉も、1,000人いる子供のひとりでも奪われれば涙する
という逸話の、いわゆる逆変換。
愛想を振りまくあの娘だって、ボタン掛け違えれば夜叉なんです。
4.最後に
とくに1.は、うろ覚えで書いたから、ちょっと理解が違うかもしれない。
実際、こんな感じのレポート出したけど、認識があってるかどうかなんて
評価はもらってないし。
話がちがーう!という内容に気付いた方、ご連絡ください。
ていうか、こういうのはもうしません。以上。
Posted by miya/みや at 23:59│Comments(0)
│2005年10月NW