2005年10月17日

最後の暑い夏 【最後の晩餐】

ミィーン ミィーン ミィーン・・・

蝉の声がうるさい。
毎年毎年、今年は異常気象だと言われ続けていたが、今年の暑さに比べれば
今までの暑さなんて軽井沢での避暑みたいなものだ。
けれど、気象庁が発表した、今年の夏の予測は「平年並み」だった。
そのときには、まさか今日という日が来るなんて想像もできなかった。

最後の暑い夏 【最後の晩餐】

そういえば、今日はまだ朝から何も食べていない。
うだるような暑さ、食欲もなくなる。
もっともこんな日に何か食べようなんて考える奴がいるとも思えないが。

軒並みシャッターの閉まった街並みで、唯一軒うっすらと煙の上がる店が。
「う」の字の暖簾。
こんな日だからこそ、暑気払いも悪くない。
目の前の暖簾をそっと払いながら店内へ足を踏み入れた。


「・・・らっしゃい・・・。」

やけに無愛想な声。他に客はいない。

「今日は、やってるの?」

「外に暖簾が出てただろう」

なるほど。

「重、肝吸い付きで。」

「・・・。」

黙って仕事に取り掛かる。


もう、何千何万という鰻を捌いてきたであろうまな板の上で、最後の一匹が
背から開かれ、串を打たれ、ほの赤い炭火の上で焼かれていく。
やがて白焼きが汗をかき始め、濃厚な脂が炭に落ちると、ジュッという音と
ともに細い煙があがった。

甕に入った、ゆったりとしたタレに浸かり、また炭の上へ。
垂れた暗褐色の雫が音をたて、朦朦とした煙と甘いみたらしの香りに変わる。
繰る繰ると、タレと火の上を往復し、しっかりと焼き目が着いた頃、お重の
中には今にも外に飛び出しそうなほど一粒一粒が立った白米が、ふうわりと
よそわれる。
そこへ、最後のタレを存分に浴びた鰻が、まるで遊び疲れて眠ってしまった
子供に母親が掛け布団を掛けるが如く、優しくお重を包み込む。

主人が仕上げたお重と肝吸いを、人の良さそうなおかみさんが運んでくる。

「はい、どうぞ。」

蓋をそっと開けると、湯気が立ち昇る。
山椒を振りかけ、3センチ角に箸で切り、米と一緒に口へ運ぶ。

舌で押しつぶすだけで身はほろほろとほどけ、米と混ざり合う。
噛み締めるたびにジューシーな脂とタレの甘味、焼き目のわずかな苦味が
脳幹まで酔わせる。


「ご主人、何でまた今日まで営業を?」

無口だとはわかっていたけれど、どうしても聞きたかった。

「ッ。俺には、これしかないからなぁ。ははッ。」

よかった。最後に、この人の焼いた鰻を喰えてよかった。

「旨かった。ありがとう。」

「また、おいで・・・っと、もう『また』は来ないんだったな。」

「また、がないから、よかったと思うこともあると、思いますよ。」

「また、がなかったら、俺の鰻はこんなに旨くはなかったよ。」

「また、って奴に感謝しなくちゃいけなかったんですね。」


暖簾をくぐり、外に出た。
太陽は高く、強烈な日差しが身体を焼く。
あとわずかな時間を、この「最後の晩餐」の余韻を味わう場所を求めて
少し歩くことにした。


本編もよろしく

ランキングくりっくよろしくちゃん。


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Posted by miya/みや at 23:59│Comments(0)2005年6月NW
 
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